◆君のことは



主様の元を訪れたある昼下がり、珍しいお客人たちに出会した。





我が主の薬師寺蓮太郎様は、文字通り『死ににくい』御方。普段は童のような姿かたちをしているものの、その実随分と長く生きている。
そして、私を始めとした『神』に名を連ねる高位の妖たちと契約を交わした異例の人間だ。
普通、『神』と同格の化生たちは、ただの人の子と契約を結ぶことはない。神婚するために人間をその手中に収めることはあれど、真名を明かし、人間の手足となるような契約は交わさない。何故なら、利点がないからだ。
けれど、主様は『特別なツテ』があって、彼らと契約する機会を得たのだとか。その第一号が誠に忌々しいあの白蛇なのだが、それについては割愛する。

兎角、主様は誰かを傍に置きたがらない。人であろうがなかろうが、それは変わらない。
それは偏に、彼の『生物の寿命を強制的に引き延ばす』体質が故だ。長く彼の元で過ごすと、その者の体内時計が狂い出してしまうのだそうだ。無論、我々高位の者たちには関係のないことだ。其処此処に蔓延る魑魅魍魎なら話は別だろうが。

それなのに、彼の人は今日も山奥の屋敷で一人静かに過ごしている。其処で私は、きっと寂しく過ごしているであろう主様のことを慮り、こうして彼の元へと急いでいる。勿論、私手ずから拵えたいなり寿司を手土産に持って。
決して暇な訳ではないのですよ? ええ、私、これでも、とてもとても偉いお狐様ですので。








──そうして冒頭に戻る。


一匹と二人が、主様の屋敷の庭先にいた。

一匹は、私と同じく主様と契約を結びながら、何故か他の者たちに比べて頻繁に喚び出されて天狗になっている(と私は思っている。)、忌々しい白の大蛇。

そして、その大蛇を気安く撫でている和装の者が一人。
深い蒼を基調としたそれは、上等な物だと一目で分かる。その衣装を身に纏う者の容貌は、被った市女笠の虫の垂衣によって窺えない。ただ、虫の垂衣の裾から流れ出る長く艶やかな黒髪から、相当な美人であろうことが予想された。(私には遠く及ばないでしょうけど。)

また、その傍に膝をつき、頭を垂れて控える人間が一人。
神職の衣装に近しい白いそれを身に纏い、同色の顔布を提げることでその素性を隠している。ただそのせいで、燃えるように赤い髪色が目に痛い。私も永く生きているが、日の本の国において斯様な色合いの者を目にしたのは初めてのことだった。


「やあ、ミタマちゃんじゃないか」

(意図的に)姿も気配も隠さずに近付いたため、主様にはあっさり見付かった。
ミタマ、というのは、彼が付けてくれた私の愛称だ。主様に真名は明かしているが、私程の者になれば気軽に呼べるものではない。しかし呼び名がないのも不便だと言って、主様は態々、私に、私だけの呼び名をくださった。勿論、そう呼んで良いのは主様ただ一人だけだ。
そんな彼は、大蛇の傍に立っていたらしい。小柄な彼(そういう所も愛おしい)は、客人たちの陰になって此方からは見えなかったのだ。彼は以前と変わらぬ立ち姿で私を出迎えてくれた。
それに対して私は、あくまで『偶々』通り掛かった風を装って、「奇遇ですわね、主様。」と極上の笑みを湛えた。

「そしてお久しゅう御座います。私、偶々此方に用事があったのですのよ? そうしたら主様のいらっしゃる御山が見えたものですから、こうして伺った次第なので御座います。」

なんて完璧な演技なのでしょう! 流石よミタマ。そう、貴女はやれば出来る狐なのよ。
主様も「そうなんだね」と優しい笑みを向けてくださるから、私は「ええ、ええ。そうですとも。ところで、お土産もありますのよ。」と言いながら、いなり寿司の入った包みを彼に手渡した。
勿論、偶々此方に寄ったという体なのだから、旧友に分けた余りなのだと付け加えた。但し、自分が作ったことは念押ししておく。

「ミタマちゃんの手作りかぁ。ありがとう、食べるのが楽しみだよ。」

主様が喜色を折り混ぜた声色と表情を此方に向けてくださるのに満足して、私も「主様が喜んでくださって私も嬉しゅう御座いますわ。」と笑顔で応えた。




「──ふはっ。」




思わず、といった具合に、何処からか小さく吹き出す声が聞こえた。

あのむかっ腹の立つ蛇野郎の声ではない。
出所は──大蛇の傍で奴の鱗に触れていた(此処まで触れることを許す奴を、私は見たことがない。)、市女笠の麗人だ。
近付いて見て分かったが、麗人は六尺程もある長身だ。件の笠と重ねて着る和装のせいで全体像が掴み難いが、袖から垣間見える白く細い手首から、相当華奢なことが推測出来た。

そんな麗人は、何故か肩を震わせ、笑っている。それを咎めるように、「月読」と低く声が上がる。その出所は赫灼の人間らしかった。『月読』とは、この麗人の名だろうか。
赫灼の者は、依然として面を上げない。先程の声は、この『月読』とやらを窘めるために上げられたらしい。小柄そうな体格から年端もいかない童かと思っていたが、そうでもなさそうだ。低過ぎず高過ぎない、思慮深さを感じさせる声だった。

「……何か可笑しいことでもあったのかしら、主様のお客人。」

対する私は不機嫌なことを隠しもせず、じろりと其方を睨め付ける。殺気さえ滲ませた私の視線に怯みもせず、麗人は「御免御免」と悪びれもしない様子で手を振った。不敬に過ぎる。すると再び、麗人にお咎めの声が掛かる。いい加減にしろ、と言いたげな声色だ。
それに合わせて笠がふらりと揺らいだ所を見るに、どうやら赫灼の青年のほうを見たらしい。

「月読、もうその辺にしとけ。」
「良いじゃない、銀。私、久々なんだよ? こんなに笑ったの。」
「…………。」

顔布の下で、小さく舌打ちをする音が聞こえた。その反応に気を良くしたらしい麗人は、「うふふ」と可笑しそうに笑い声を立てる。笠の内側から聞こえる、柔らかな声は、どう考えても男のそれだ。どちらかと言うと赫灼の青年のほうが、市女笠の麗人よりも声が低い。
訝しげに柳眉を寄せる私に、麗人は向き直る。

「いやぁ、中々いじらしくて可愛らしい女性(ひと)だと思ってね。」
「はあ?」

突拍子もない。

主様の御前で、思わず品のない声が出てしまった。どうしてくれよう。
そんなことを考えていた私に構わず麗人は続けた。私も──続けさせてしまった。



「だって君──そもそも蓮くんに会いに来るために此処に来たんじゃあないか。」



真名の秘匿のために隠していた尾が、全て飛び出してしまうくらいには、動揺した。
あっけらかんとして言う麗人は、笠の内側で面白そうに笑っている(と容易に想像出来る)。

「な、な──」

私は、思わずバッと周囲に目を遣った。

麗人の傍に控える青年が、とうとう頭痛を堪えるように額を押さえた。

白蛇は何も言わない。表情など(蛇だから)分からない。

主様も何も言わず、笑顔のままだ。





嘘でしょう、もしかして。

『私以外、知っていた』?




沈黙は肯定の証。
耐え切れず、私は絶叫した。




「な、なななな何なのよアンタ──ッッ?!?!」